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​短編

蜃気楼


赤司は夏になるといつも思い出す事がある、深緑の緑、人口的では無いそよ風、肌を焼くような日差し、それとあともう一つ。
そのもう一つがどうしても思い出せない。
それを思い出せたら特別何かあると言うわけでは無いのだけど。


「…暑い」

アスファルトを焼くような強い日光がジリジリと皮膚を焼くような感覚に視界が揺らめく。

「東京は京都より涼しいはずなんだが…」

立ち止まりため息をしたあと息を吸い込むと、体の中に温風が舞い込んでくる。
こんな事では父さんに情けないなと言われてしまうかもしれない、などと思いながらフラフラと歩き出した。
赤司の体は気温の寒暖差に弱く、すぐに身体を壊し寝込んでしまうところがあったがここ数年は何事も無く穏やかだったが、よく考えれば運がよかったのかもしれないそう思いながら赤司の視界はぐるりと回転しあたりは真っ暗になった。


   *


ふと目を覚ますと赤司は公園のベンチで寝かされている、額には濡れたハンカチが置かれ首すじには冷たい缶飲料がピッタリと置かれていた。

「っ…?」
「(大丈夫…?)」
「貴方は…たしかテツヤの先輩の、水戸部さん…?」
「(多分熱中症だと思うからまだ安静にしていた方が…)」

身振り手振りで赤司を心配しているようなそぶりをしている、すべて赤司の想像だが。

「えっと、介抱していただきありがとうございます。俺はもう大丈夫みたいなのでこれで失礼、します…」
「(まだダメ!)」

立ち上がろうとするとまだふらりと眩暈がし、また赤司の視界がぐらりと揺らいだ瞬間無理やり水戸部に座らされた。
その時ふいに懐かしい香りが鼻腔をついた。

「(まだ安静にしなきゃダメ!しばらくは言う事聞いてもらうからね!)」
「う、わかりました…」

水戸部の気迫に負けベンチにまた戻され横になった
今度は反対の首すじにも冷たい缶を当てられている

「すみません、迷惑をかけてしまって…」
「(気にしないで、これ飲める?)」
「ありがとうございます…」

スポーツドリンクの蓋を開け水分を取るように進められ赤司は渋々ではあるが口にした
そよそよと吹く風に先程の香りが乗りまた赤司の鼻腔をふわりとくすぐったが一体なんだったのか思い出せない

「あの、失礼ですが何か香水を…?」
「(いや、付けてないけど?)」
「そうですか…」
「(…?)」

風がやむと香りは消え、蒸し暑い湿度が体にまとわりつく
お互い黙りこみ何と無く気まずい雰囲気の中
水戸部がこれ食べる?と紙袋からタッパーを取り出し蓋を開けた

「(食べれたらでいいんだけど…)」
「いえ、いただきます」
「(どうぞ召し上がれ)」

もぐ、とレモンケーキを食べると何だかとても懐かしい気分になったがなに一つ思い出せない
けれど懐かしい気持ちが溢れ出す

「(美味しい?)」
「あ、はいとても美味しいです」「(ふふ、よかった)」
「いいんですか、俺なんかが食べてしまって」
「(まだまだあるから心配しないで)」

水戸部はそう笑いながら紙袋の中にある中身がぎっしり詰まったタッパーを見せた
どうやら心配の必要はなかったようだ。

「水戸部さん、料理好きなんですね」
「(作ったら兄弟が喜ぶからね)」
「そうですか」

ニコニコと笑う水戸部を見て赤司はこの人はとても料理が好きなんだなと思いつられて笑うとまだ食べかけのお菓子を持つ手に何かがとまった

「(ケーキの匂いにつられて来たのかな?)」
「アゲハ蝶…」
「(蜂蜜をちょっといれたからかな?)」

指に蝶をとまらせ笑う水戸部を見てずっと胸の引っ掛かかっていた懐かしさがこみ上げてきた

「…っ」
「(赤司くん、何で泣いてるの…?)」

赤司には幼い頃優しく聡明な祖母がおりガーデニングが趣味でよくレモンを栽培していたせいもあり
祖母の家にはアゲハ蝶がたくさんいた
もうずっと前にいなくなってしまったけれど

「水戸部さん俺は、俺は…」

目に突き刺さるような青空と緑の葉にアゲハ蝶の変則的な動きが赤司の瞳に飛び込んで感情を揺さぶる。

 

そうだ思い出した。

 

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