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夜桜

久々に本家の屋敷に帰ると古い桜の木を切るかどうかでもめていた、今年花咲く見込みが無いうえに病気が進み何故立っているかも不思議らしい

「こんな立派な桜が花を咲かせられないなんて、悲しいな…」

そう言って木の幹を触り残念そうに木を見つめていると木の影から黒髪の左手に赤い紐をつけた青年が赤司に飛びつくように抱きついた


「うわっ!」
「(その緋色の髪…嗚呼やっと帰ってきてくれたんですね、征十郎様…)」
「水戸部!久しぶりだな!」
「(ずっと会いたかったです、征十郎様…)」


昔赤司が悪夢にうなされ泣いていた時に慰めて寝付くまでそばにいたり一緒に少し遊んだり、夜にだけ現れる不思議な黒髪の優しい青年、水戸部が赤司の手を握り歓喜のあまりほろほろと泣いている

「手を握らなければ相手に気持ちが伝えられないところは変わらないな」
「(すみません、それよりも征十郎様は大きくなられて…!)」
「少し身長が伸びたぐらいでオーバーだな、お前はあれから何年も立つのに昔のままだな」

何気なくそう言うと水戸部は少し悲しそうに笑った

「(今度はどれぐらいここにいられるんです?)」
「そうだな…5日ぐらいといったところだな、部も疎かにはできないし…」
「(そう、ですか…)」

しゅんとする水戸部に赤司は明るく笑いかけた

「落ち込まなくていい、それより今夜も昔みたいに寝付くまで昔話を聞かせてくれるんだろうな?」
「(もちろんです!)」
「なら早速話してくれ」
「(はい!昔々あるところに1人の油売りがおりました…)」

水戸部の昔話はどれも面白いがどの話も決まって赤司とよく似た男の冒険活劇でその男の家には水戸部によく似た使用人がおり
結末はいつもその男は使用人と仲良くずっと一緒にいるというお決まりの終わり方だったが赤司はその終わり方すら愛している

「(そして主人と使用人はずっと仲良く一緒にいました、おしまい。)」「なぁ」
「(はい何ですか?)」
「明日桜を見に行かないか?」

安易な考えだがどうだろうと問いかける赤司に水戸部はさみしそうな顔をしている

「(どうしてもですか、桜ならここにもあるじゃないですか…)」
「そうだがその桜はもう咲かないとみんな言っているし、今年は水戸部とこの家の敷地から出て一緒に散歩とかしてみたいんだ」

それはきっと楽しいと思うんだと赤司が笑ってそう言うと彼はとても悲しそうな顔で
すみませんそれだけはできませんと絞るような声で言った

「(それだけはどうしても出来ないんです)」
「何故だ、理由を話してみろ」
「(っ…それは…)」

水戸部が口ごもりうつむきほんの少しの間だけ沈黙が保たれたが部屋の入り口の襖から征十郎坊ちゃん、失礼しますと女中の声がした
赤司がその声に気を取られ水戸部から目を離すと水戸部はサッとどこかへ行ってしまった

その日の夜はもう姿あらわすことなかった


だが次の日の夜になると水戸部はちゃんと赤司の部屋に遊びに来たがもう敷地内から出ようという話はしないようにしたがやはり2人で花見をしたいと思ったので

「(目隠しをしてどこに連れて行こうと言うのですか征十郎様?)」
「もう少し秘密だ、 そこ段差があるから気をつけろ」
「(はい、本当にいったいどこに…)」
「もういいぞ目隠しを外してみろ」

目隠しを外すと部屋には灯籠の橙色の光と桜が描かれた着物が部屋の壁が見えないほど飾られ怪しげな雰囲気を出している

「(わぁー!)」
「これなら敷地内から出ることなく2人でお花見ができるだろ?」
「(はい!しかしこんなに桜柄の着物がたくさんあるなんて俺今まで知りませんでした!)」
「気にいってくれたか水戸部?」
「(はい征十郎様!)」

子供ように喜ぶ姿を見て赤司は嬉しくなり思わず微笑んだ

「花は一度咲いたら散るだけだがこの桜はずっと咲きつづける、永遠の桜なんて美しいと思わないか?」
「(…そうでしょうか、俺は永遠の灰色より一瞬の七色の方が美しいと思いますが、これもいいものですね)」

 

そう言ってまたさみしそうに笑う顔を見てやるせないような気持ちになったが
水戸部が今日はこのまま花見をしましょう!と明るく言うものだから赤司はそれに答えるしかなかった

次の日から水戸部がいなくなった
正確には水戸部が赤司の所に現れなくなったのと赤司は水戸部について何も知らなかった事に気づかされた

 

そして5日目の朝には庭に数人の樹木医が残念そうな顔をして赤司の父親と何かを話していた
どうやら明日になると本当にあの桜は切り取られてしまうようだ、となんとなくわかった
桜はもう4月の暖かな日差しに照らされていると言うのに蕾を一つもつけていない

 

「何をしているんだ征十郎」
「父様…この桜はもう切ってしまうのですか?」
「なんだ聞いていたのか、お爺様はこの桜が大好きだったから残しておきたかったんだがな…」
「病気、だからですか?」
「まぁそういうことだ」

赤司の祖父が死ぬ間際まで気をかけていた桜と言う事もあり赤司の父親はとても大切にしていたのだかもう手の施しようがないらしい
二人は桜を見つめたが桜は物悲しそうに風にゆられているだけだった

 

その日の夜は風一つ吹かない生暖かい空気だけがじっとりと漂っていた
灰色の夜空が今すぐにでも雨が降り出しそうな、そんな雰囲気の外から謝絶するように戸を閉めため息をつく

 

「今日は来ないのか…」
「(征十郎様、征十郎様…)」
「水戸部、水戸部か!今までどこに行っていたんだ?!」

 

この時に赤司は部屋の戸を開け声のした庭にかけ出た
この時に気付くべきだったのかもしれない

手を繋がなければ会話が出来ない水戸部が普通の人間のように話した事に


「水戸部、なのか…?」
「(はい、そうです…これが俺本来の姿です、幻滅しましたか?)」

 

水戸部はいつもの若草色の地味な袴でなく群青色の着物と羽織の裏には朱色といった派手な格好に両手両足は少しづつ人の形からかけ離れていく

 

「いや、すごく…驚いてる…」
「(征十郎様今日はお別れを言いに来ました、俺はもうここには居られません)」
「な、にを、言っているんだ…?」
「(俺はもう長くは持ちません、けれど一緒にいられて幸せでした)」
「水戸部…?」

 

不思議そうに水戸部を見る赤司に水戸部は最初は笑顔だったが次第にはらはらと涙が溢れ出た

 

「(愛しています征十郎様)」
「ッ…!!」

 

涙を流しながら微笑む水戸部に赤司は腕を伸ばし水戸部の手をつかもうとしたがどれだけ伸ばしても届かず赤い紐が風にたゆたい揺れているだけだった

 

「(先代様、貴方より征十郎様を愛してしまった俺を許してください)」
「水戸部!行くな水戸部!」

 

触れる寸前水戸部の体は桜の花びらだけを残し消してしまい赤司の世界が暗転した


瞼が重い、間接が痛い、体を起こしあたりを見渡すと赤司は明かりもつけず自室の机に伏せこんでいたようで空は暗く部屋の四隅には影がせまっている

 

「っ…」

 

さっきのは夢にしては後味が悪すぎる、そう思いながら肌寒い外に何も羽織らずに庭に出て一直線に桜の元に向かった

そこには咲くはずのない桜の木闇夜の中で狂うように咲き乱れる姿はまるで死に急ぐ蝶のようで

 

「美しい…」

 

そう思った瞬間折れることのないであろう太い枝は音を立てて赤司を避けるようにして次々と落ちて来る
枝の断面は既に腐食しきってたていたようで空洞だった
一番太い枝には水戸部がいつも手につけていた赤い紐がついていた

 

「この桜は、お前だったのか水戸部」

 

生ぬるい風があたりに吹き込んでも悲しげに揺れる枝は赤司の眼下に全て落ち
目の前には腐食し無残な姿になった桜の幹とその生涯を終えた桜の枝が足元に転がるばかりだった

プラトニックノイズ

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