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蝉時雨

それは夏の暑い日だった。

「今、なんて?」

べそべそと泣く姉を見つめる顔は驚きのあまりとても間抜けな表情になっている。

「だから、婿として嫁いでちょうだい」

でも、なんで?ととぼけた顔をして問い詰めるとまた泣き出す姉を見ながらついにこの日が来たか、と息を吐いた。
何年か前に始まった戦争は日に日に激化していき有名な旧家の紫原家と言えど楽な暮らしが出来なくなるほど戦況は悲惨なモノになっている、紫原本人もずっとこの暮らしができるわけでは無いとわかっていたがついにこの日が来たかと先ほどのようなとぼけたフリをやめ腹を括った。
父親と兄達はお国のために戦いに行ったまままだ帰ってこず、母は結核を患い遠くの病院で闘病中で家には居ない。
今家にいるのはまだ規定兵隊年齢に達しておらず規格外の図体で大飯食らいの弟に、家の正式な後継ぎとして母親から後継ぎの権利をもらい婿と結婚し家庭を持った姉、そして食糧問題とくれば自分が今どうすべきかはすぐに理解が出来た。

 

****

「農家の長女で兄弟思い、家事はなんでも出来る、ねぇ…」

つまり田舎の農家の婿になれば食いっぱぐれる事はないし、持て余した体力も有効に使うこともでき、他の人より二回り大きな体を人の好奇の視線にさらされずにすむ、一石二鳥どころではなく三鳥ぐらいこちら側としてはいい条件だ。
だが、生家を離れて見知らぬ土地で会ったことない人と夫婦になるのはやはり抵抗がある。

「ねーちゃんの目を信じるしかねーか…」

そう言いながら汽車を降りると駅でおかっぱの女の子が手を降っている。
どうやらあの子らしい。

「始めまして!私は水戸部千草って言います!紫原さんですよね…?」

少しおどおど話す少女にそーだよと抜けたような声で話すと、明るく元気な声でやっぱり!と嬉しそうに笑った。


「私凛にぃ…じゃない、兄より大きな人見た事ないんですよー、だから始めて見たときからあの人が紫原さんだっ!ってすぐにわかったんですよー」
「お兄さんおっきーんだ」
「兄さんは村で一番大きいんです」

そんなたわいもない話をしながら二人は駅から離れ、小高い丘を二つ越えて曲がりくねった道を抜けると沢山の畑に4、5件の小さな家が見えてきた。

「つきました!これが私の村です!」

「わー」

田舎だと聞かされていたがここまで田舎だと思わず言葉が出なかった、だが一応合図値はとって置いた。

 

「そんで、家ってどこだし」
「家はあそこです」

ビシッと指を差す千草の指の先の方向をみると、ボロボロの木造家屋から沢山の子供たちが出たり入ったりしている。

 

「わー、賑やかそー」


家に着くと結婚式らしい結婚式は資金不足のため行われない変われないかわり街の実家よりは種類は豊富だが質素な量の料理が出た。
食糧不足が叫ばれ食糧が少なくなっているのはどこも同じのようだ。

「すげーこれ、全部ここで作ったのー?」
「この村では基本的に自給自足なんです、お口にあいませんでしたか?」
「んーん!すげー美味いし!」

久しぶりに見る様々な食事についがっついて食べていると、空いた皿を下げる侍女にしてはたくましい男のような手に目が止まる。

「えっと、こんにちは」
「…、」

男は一言も話さなかったが笑顔で会釈し、御盆に皿を置きスッと立ち上がった。
身長からして多分この人が千草の兄だと理解した。

「さっきの人が私の兄です、生まれつき声が出ないんです。」
「ふぅん…」

少し不思議な思いを残しながら宴は続いた。
宴が終わり風呂から出てふと縁側の外の畑を見ると、町では見れないほどの沢山としてたくさんの野菜や果物が細々と実っている。

不思議そうに縁側から畑を見ていると、雑木林から何かやってくる。

「なっ、もしかして…熊⁈」

万が一熊だったら走って逃げても追いつかれるし、立ち向かおうにも今の自分は武器らしい武器を持っていない。
けれどやるしかない!と心奮い立たせてその場にあった棒を振り上げ雑木林から出てくるのを待つと。

 

「!」
「!!」

すぐにさっと棒を自分の体の後ろに隠したが、先ほど棒を振り上げている姿を見ていたのでどういう状況がすぐに差し思わず吹き出した。

「(俺のこと、熊か何かかと思ったの?)」

手に持っていた別の棒で地面に文字を書くとまた笑った。

「こんな夜に何してたんだし」
「(イノシシ除けの罠を掛けてたんだ)」
「イノシシは出るんだ…」

そういうと水戸部はクスクスと笑い、また地面に書き始めた

「(すごい貧乏で驚いたでしょ)」
「それは、まぁ…驚いたし」
「(でも食べ物だけは他の農家よりあるんだ、たまに盗まれちゃうけどね)」

空腹で追いつめられた人が盗みに走ってしまうのは街でもよくあったことで、どこも同じなんだなと思いながら水戸部の顔見つめる。

「(ここの人はいい人だよ、俺の声が出なくても優しくしてくれる)」
「だからここでできた野菜とかを村の人たちにあげてるの?」
「(あげない理由にはならないでしょ? ここの村では助けあいが大事からね)」

そう言って少し寂しそうに笑う姿に返す言葉がなくなり、部屋に戻ると千草が怯えた表情で布団の上に座っている。

 

「んー、なにしてんだし…」
「きょ、今日夫婦になったから、だから、その…っ!」

なるほどそういうことか、と思い怯える千草の頭を撫でた。

「あの、敦さん…?」
「別に今そんなに急ぐことじゃないし、そういうのはゆっくりこれからやって行けばいーし、今日は同じ部屋で寝るだけにしよーよ」

そう言ってまた頭を撫でると千草は心から安心したかのように胸をなでおろした、その日は同じ部屋の別々の布団に入り2人は眠った。

 

次の日、日が登る前に一家総出で農作業に出された、それは生まれて一度もの農具に触れた事のない婿も平等に駆り出された。

「まだまだ眠いし…ふぁ…」
「(こら、いくら千草の婿でもちゃんとやらなきゃ朝ご飯のおかず一品減らすよ⁈)」
「そ、それだけは勘弁して!」
「凛兄ー!初めてなんだからあんまりいじめないであげてよー」

遠くの方で豆を積む千草の言葉に思わず顔がほころんだが横にいる水戸部は思わずムッとした

 

「(一晩でずいぶん仲良くなったんだね…一晩で…)」
「や、それは誤解だし!まだそのそういうことはやってねーし!」

ほほう、どうだか…と地面にカリカリと書く水戸部にどうやって言い返そうかとクワを片手に考えていると、郵便屋がボロボロの真っ黒い自転車に乗って畑の端の方でキョロキョロとしている。

「おーい、この中にアツシという人はいるかー?電報だぞー!」

郵便屋さんから電報を受け取り宛名を見るとかなり遠縁の従兄弟からのようだ。

「正月の時にしか合わないのに…いったい何だし…」

少しむくれた顔で電報を読むと、息が止まった。

「ねーちゃんが、死んだ…?」

電報の内容は姉の家であり生家でもある家が焼け落ち姉がその下敷きになったという内容だった。


****

農作業が終わった後ずっと何も喉に通らず、虚ろに外を眺めていた。

「(気持ちはわかるけど何か食べなきゃいくら大きな君でも倒れちゃうよ?)」
「いらない…たべていーよ…」
「(俺はさっき食べたから、これは敦君の分だよ)」

そう言って縁側に三角座りで縮こまっている横に大きなおにぎりと麦茶を置くと、暗い表情のままおにぎりを鷲掴みガツガツと食べ始めた。
だんだんと食べる速度が減速していきながら口からしゃくりあげる声と嗚咽が溢れ始めた。

「男の子なのに、泣いちゃうのっ、は情けない事なのにっ…」
「(確かにみんなの前で泣いたら示しがつかないけど、男同士の時は泣けばいいんだよ)」
「泣いてたことっ、誰かに言ったら、怒るかんね…!」
「(うん、言わないよ男の約束だからね)」

それを聞くと先ほどまでべそべそと泣いていたがついには生まれたばかりの子供のように大きな声で泣始めた。

 

「(俺たちのことまだ新しい家族だと思えなくてもいい、でも俺はもう敦君の事を義理の弟ではなく本当の弟だと思っているから)」

メモにそう書いて見せるとまたしゃくりあげて泣くものだから水戸部は泣き止み落ち着くまでずっと背中をさすっていた。

そんな2人の姿襖の向こう側から見ていた千草はゆっくり襖を閉めて、二番煎じだったなぁ…と思いながら持ってきたお盆の上麦茶を飲んだ。

「凛兄にはかなわないなぁ…」


****


その日から数日が立つと水戸部家に少しづつ溶け込みはじめたのか農作業も自分から進んでやるようになった、だが朝は弱いのか下の弟たちと一緒に良く昼寝をしていた。
そんな時にお腹を冷やさないように布をかけるのが千草の仕事になった。

「(できれば昼寝なしに働いてもらいたいんだけどなぁ…)」
「手伝ってもらえるだけありがたいと思われたためだよ凛兄!」
「(千草は本当にいい子だなぁ…お兄ちゃん早く千草の子供が見たいよ)」
「こっ⁈子供なんて、そんなっまだまだはや、気が早いよ!!」

水戸部は冗談のつもりで言ったのだがもう!凛兄のバカ!と顔を真っ赤にして怒る千草に、あーそうかこの2人…と千草が恥らう姿に女性としての成長の意味を知ってしまい喜びたいのに素直に喜べず悲しいような殺意のような言葉にはしづらいよくわからない気持ちが込み上げてきた。

「(特に深い意味はないけれど今夜は白米にしようか)」
「それ絶対深い意味あるよね!?」
「(それとも人参の料理にしようかな?)」
「凛兄さすがにやめてあげて!」

そうやって台所で騒いでいると、少し屈んで台所ののれんをばさりと払いのけながら寝起きの弟たちと一緒に話の中心人物が台所に入ってきた。

「おはよー千草ちん…それ今日の晩御飯?」
「あっ、はい!今日は大根の葉っぱの味噌汁に雑穀米に山菜のおひたしです!お口に合えばいいんですけど…」
「おー!うまそーだし!俺千草ちんの料理好きだからなんでも食べるし!」
「(あと追加で人参の人参あえね)」
「それは、ちょっと好きじゃねーし…」
「ちょっと凛兄!」
「(冗談だよ)」

しらっとした顔で言う水戸部にもー!と怒るに千草の頭をなでながら笑っていたが、水戸部の笑顔に不思議な感覚がした。

できればこの感情に名前をつけてはいけないと思い、その胸の不思議な感覚を追記してはいけないと思った。


「りんにー!りんにー!ゆうびんやさんがきてるー!はやくー!」

 

小さな弟たちが何人か水戸部の服の裾を引っ張り玄関に連れて行くと、郵便局のおじさんは複雑な顔をして赤い紙を渡した。

「(これって…)」
「『赤紙』だよ、ちゃんと渡したからそれじゃあ…」

赤紙が来てしまい水戸部が戦争に行く事になる。
田舎なのでこの情報はすぐに周りに知れ渡り、すぐに近所の奥様方が家に押し掛け泣きたい気持ちを抑え嘘笑いをしながら祝福をした。
ここでもし無理に戦争を非難するようなこと言っては憲兵に連れていかれてしまう。
だから本当は祝たくもないのに笑顔で戦地に行くことを讃えなければいけない、だから家でも泣きたい気持ちを抑え込みながら家族達は兵隊に選ばれた水戸部の事を祝福した。
大きな弟たちは抱きついて絶対帰ってきてねと泣きながら言ったり、状況飲み込めていない下の弟たちは帰ってきたら何をするかという話を一生懸命していた。

「凛兄、絶対、絶対だよ?絶対帰ってきてよね!」
「(千草ったら心配性なんだから、日本は神の国なんだから負けるわけないだろ?)」
「そうだね、学校の先生もそう言ってるし…でも…」

不安でいっぱいな千草の顔を見て慰めていると、水戸部はこの場に彼の姿がいない事に気づいたが泣きつく弟たちを慰めてから探しに行こうと思った。

「(またどこかで泣いてなきゃいいんだけど…)」

****

その日の夜、水戸部は畑の方まで探しにいくと納屋の近くにで縮こまってむくれていた。
水戸部の足音に振り返ったがどちらとも話出そうとせずしばらく沈黙が続いた。

 

「…」
「(日が登ったら戦地に行くよ、短い間だったけど今までありがとう)」
「やだ、やだよ…」
「(それは…出来ないよ、赤紙が来た以上行くしかないんだ…)」

泣きそうになるが必死に抑える声が聞こえる、水戸部は今泣きそうなんだなと思い前のように背中を撫でて慰めようと手を伸ばしたがその手を止めた。

「(これから家のことはすべて君に任せるよ、)」
「っ…!」
「(千草と仲良くね、それじゃ先に家に戻ってるから)」

そう言って家の方向に足を進めようとした水戸部の手を思わず握った。

「まだあやふやで俺でもよくわかんねーけど今伝えなきゃ、言わなきゃいけない事があるんだし…!」
「(…?)」
「俺、千草ちんが好きで一緒にいたら心がふわふわするだし、でも、アンタと一緒にいても心がふわふわするんだし…!初めて農業した時やねーちゃんが死んだ時優しくしてくれた時嬉しかったし…その時からずっとふわふわするんだし!」

「(うん、)」
「だから、俺、もしかすると千草ちんより、本当はアンタの事が…!」
「(ダメ、ダメだよ、それ以上は言っちゃダメ)」

いつもはおっとりしているのに素早く口を塞がれ思わず目を見開いた。

「…!」
「(君は俺の義弟で千草の夫なんだから、その言葉の先は言っちゃダメだ)」

男同士でこんな事を言っちゃいけないのはわかってる、もしこのことが他の人に知られた周りから迫害されるかもしれない。
自分だけではなく、千草や他の弟たちまでどこかでいじめられるかもしれない。

「ンなのわかってるし!でも、俺…!」

「(敦君約束しよう、俺の大好きな千草と家族を俺の変わりに護って)」

地面に震えるような文字が書かれるのを見て思わず水戸部をみると今にも泣きそうな顔でこちらを見ていた。
水戸部はわかっていたのだ、戻ってこれないかもしれないという事を。

わかった、俺、ちゃんと約束守るよ、とボロボロと泣き出しながら必死に言うと水戸部も男の約束だからねと今にも泣き出しそうな顔で笑った。

ポツポツと大粒の雨が降り出し始め、辺り一面真っ白に染め上げた。

「(敦君、俺はね…)」


「(       )」

地面に文字を書かず唇の動きだけで水戸部は最後に自分の思いを伝えた。
水戸部の思いに応えるように彼もまた自分の気持ちを声に出して伝えたが雨音に消されてしまった、空は二人の涙を隠すように大粒の雨を降らせていた。

 


数日後、水戸部の死亡届けが届きその二日後戦争は終わった。

何もかもがあまりに遅すぎた。

************

「おばあちゃん、それでおじいちゃんはどうなっちゃったの?」

 

目に涙を貯めて話を聞く黒髪に紫の瞳の女の子はしわくちゃの祖母を見つめた。

「その日から昼寝を全くしないようになって真面目に農業をするようになってこの家をずっと守ってきたんだよ」

「そうなんだ…私おじいちゃんのこと、何にも知らなかった…」

女の子は涙をぬぐいながら遺影を見ると千草はつられるように上を向き目を細めながら額縁の中の凛々しい兄と優しい夫を見つめた。

「そうよ、それで隣の凛々しいのが私の兄さんよ。二人とも私をおいて行くなんてほんっと酷いんだから…」

千草は窓から雲一つない真っ青な空を見上げ、しわくちゃになった手をさすりながら誰に言う訳でもなく呟いた。

「凛兄にはかなわないなぁ…」

 

それは夏の暑い日だった。

プラトニックノイズ

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