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人魚は半月の下で泡沫の夢を見る

はぁ…とため息を吐きながら部屋のカーテンを少し開け、青い空に登り始めた昼間の白い月を見て宮地はまたため息をついた。

ここに引っ越して来てから全く仕事をしていないどころか必要性最低限は外に出なくなった。
作家だから今まで仕事は基本的に家でやっていたし、預金はまだまだあるから食いっぱぐれることはない。
宮地は日本を代表する世界的に大人気作家にまで登りつめ、富や名誉、ありとあらゆるものを手に入れた、けれどある日何もかもに嫌気が差し創作意欲が全く湧かなくなった。
自分が今までどんな事を思って小説を書いていたかわからない、これは俗に言うスランプというやつだろうがそのスランプがかれこれ2年と8ヶ月この海辺のさみしい街に引っ越してもうずっとこうなのである。
世界的にはまだまだ人気だが日本ではもう一昔前に流行っていた終わった作家扱いである。

宮地はむくりと起き上がるとパソコンのメールホルダーを見た、編集担当の緑間からの次の作品を出せとの催促のメールが数件あるだけだ。

「ちょっとカップ麺でも買いに行くか…」

宮地はサンダルを履きボロボロの扉を押して三日ぶりの外に出た、海沿いにあるせいで鼻腔の中を潮風がかすめるように通り肺に溜まり、また外に出た。

「ここの海って遠くからみたら綺麗なのにな…」

眼下に広がる海は岩が多く潮の流れはかなり早く少し前まで漁業はあったが後継者不足で完全に廃れ、唯一の名産はアワビとウニとサザエだが海女さんも次第に老婆しかいなくなり若者は都会に出稼ぎに行った、言わば限界集落である。
そんな事を考えながら水平線の近くを行き来する大型のタンカーをぼんやり眺めていた。

 

「今度は巨大アイドルグループで勝ち抜く新人アイドルのサクセスストーリーやめて前に書いた作品の主人公の親友の昔の話とか…そんなのつまんねーか…」

はぁー、と長いため息を吐きながら今度は体を後ろに反り返して山を見ると質素な石造りの鳥居が目に入った。

 

「人魚伝説ってのがあったから越してきたのに、とんだデマだったな」

この土地には昔から人魚伝説があり人がよく海に出たが船だけが帰ってきたり、何処かにいなくなったりするのがよくあったが、それは海に溺れ流されたりしたわけであって誰も本当の人魚を見たとかの伝承はないし人魚のミイラとかもない。
ただ街の老人達はどの家にも大粒の真珠がありみんなそれを人魚からの贈り物だと言っているが、その老人達がまだ子供だった頃に街をあげて真珠産業にも手を出し見事に失敗した歴史がある。
真珠も老人たちの親が子供に与えたものだろう。

「不思議なことは伝承されて伝説になって神格化されて、やがては神になる、か。」

今時人魚とかネタにすらならねぇな、とつぶやくとまた空を眺め歩き出した。

「今日はたしか満月だよな、夜に海辺を散歩してみるか」

そうだ、新人アイドルが甘酸っぱく透明な片思いの話しを書こうと思いついたが頭の中ですぐに行き詰まった。



夜の海は仄暗く暗く波の音が辺りを包んでいる。

「ったく!なんでこんなボロい手漕ぎボートしか見つかんねーんだよ!」

宮地は海辺の岩に打ち上げられた木製のボートを見つけると満月と海で何か話が思いつきそうだ!潮の流れもなんだか穏やかだしちょっと漕いでみるか!と突拍子のない発想を実行して今必死に一人で手漕ぎボートを漕いでいる。
正直やめておけばよかった。

「今日は波も風も無いんだな…」

いつも轟々と吹きすさぶ風と潮の流れが速く荒れ狂う海がこの街の海だが今日はやけに静かで穏やかだ。
宮地は9月の少し冷たい夜風に髪を揺らし、星は輝き月は海に移り、海は暗く覗き込む宮地の顔を水面に移した。

 

「綺麗だな、月も星も海も。」

ボートに寝転び月と星を見上げているとパシャ、と水の跳ねるような音がボートの近くでしたのであわてて音のした方を見ると。

「白い、菊の花、黄色の菊の花…これって、仏花か…?」

何故仏花が、と思いながら拾い上げようと手を伸ばすと、白い手が花を掴んだ。


「なっ⁈んだこりゃ!」
「(⁉)」

宮地は白く少し冷たい手を掴みぐっと引きあげると暗い海の中から体に少しウロコのついた色白の男が出てきた。
男もいきなり海から引き上げられて驚いているようだ。

「もしかして、ウニの密猟者か…?それとも…まさか幽霊?」

ふるふる!と男は首を横に降る。

「いくら泳ぎたいからって海で泳ぐにはもう遅いぞ、ほら風邪ひく前にボートに乗せてやるからこっちこいよ」

「おい!そんなに暴れんな…うわぁっ⁉」

男がいやいや!と体を揺さぶり抵抗したせいでボートはひっくり返り宮地は海に落ちた。


「ぶぁっ、がぼべっ!!げぶっ!」
!、!
「げほげほげほげほっ!…助かった、もう大丈夫だか、ら…?」

宮地は男に抱きかかえられ呼吸を整えると強烈な違和感の元である、その男の足を触った。

「ッ!」

「おまっ、まさか、いやでも、そんな事って…?!」

宮地は足に当たるところを触ると太く細かなウロコがびっしりと生えていたりザラザラしたところがあったり腰のあたりにエラがあり、これはまるでこの街の文献にあった。

「人魚…じゃねぇか…!」
〜ッ!

人魚だけれど乳首がありエラがありウロコがあるところとないところがある、耳のあたりには耳ではなく魚のヒレのような半透明なものが着いていて背びれも小さいが確かにある。
手は河童の手みたいになっているし尻尾はよくマンガとかで見るひらひらとしたものではなくサメそのものので肉厚な腹ビレもありよくわからない割れ目と穴がありそこを触ろうとしたら拒まれたが宮地は好奇心のままに体を触りまくった。

 

「すっげえ…本当にいたんだな…!人魚って生臭いもんだと思ってたけどそうでもないんだな」

 

クンクンと髪を嗅ぐと流石に怒ったのか宮地の耳を引っ張った、そのあとすぐに宮地を抱きかかえたままひっくり返ったボートを元に戻して宮地を乗せて流されたオールを取ってきてくれた。
男は怒ったのか顔を真っ赤にしてずっと黙っている。

「あー、体触りまくって悪かった」
ぷぅ…
「悪かったって…機嫌直してくれよ」
じっ…
「悪かったよ」

怒ってジトッと宮地を見つめていたがポロシャツの胸に刺繍されている小さなコスモスを見つけ不思議そうに見つめている。

「さっきも花持ってたけどお前、花が好きなのか?」
コクコク
「だから花集めてるのか?」
コクコク!
「でも花なんてどこに…」

不思議そうにする宮地に男は少し向こうの崖の上にある海難者の慰霊碑を指差した、あそこに置いてある花が強風にあおられて海に落ちるらしい。

「次、会う時に花持ってきたら許してくれるか…?」
! コクコク!
「じゃあ次は綺麗な花持ってきてやるよ」
ぱあぁあぁ!!

宮地の言葉に男は満面の笑みで頷いている、思わずこちらも釣られて笑った。

「そうだ、お前名前なんて言うんだ?」

「名前ないといろいろと困るからな」

男はすぐに理解し必死にジェスチャーをして名前を伝えると胸元の刺繍と宮地の顔を交互に見ている。

 

「ミトベ リンノスケ?めちゃくちゃかっこいい名前だな…」
かぁあぁ…
「俺は宮地清志、宮地でいいから」
コクコク

月が傾き始め遠くの方でカモメの鳴く声を聞いて宮地は帰ろうとすると、水戸部は少しさみしそうな顔をした。
またこんな日の夜に来るから、と言うと水戸部は名残おしそうに手を降った。

宮地が見えなくなると水戸部はすぐに海の中に潜り触れられた手首を撫でた。
乱暴そうに見えて優しいところに月より深い髪の色が月に照らされて輝いていたのを思い出し、胸が詰まるような感覚が息を詰める。
体中をまさぐられたことを思い出すと顔が真っ赤になるが、それを抑えて深海に潜る。

「宮地、清志か…」

水戸部はポツリとつぶやくとまた赤くなった。

 


そのころ宮地はカタカタとキーボードを叩くように新しい話を書きながら椅子の上であぐらをかき担当に電話をしていた。

「もしもし、宮地さん新作のアイデアはまとまりましたか?」
「今日からしばらく連絡してくんな、次は人魚もので行くから」
「…人魚ものはやめたんじゃないんですか?何にせよ新作が出してもらえるならこちらもバックアップしますので何かあれば…」
「10円が切れそうだから切るぞ」
「宮地さんの家に公衆電話なんてないのだよ!」

ぶつっ、とスマホの通話ボタンを押してまたガチャガチャとキーボードを叩きながら宮地は自分の頭の中にあるアイデアを次から次へと形にして行っていた。

「やっぱり、この世界には不思議な生き物はいるんだな…!」

宮地はキラキラと目を輝かせながら人魚の少女が漁師の女に見つかり同棲する話を書きだし始めた。

 

次の満月の夜、宮地は約束通り仏花にあまり使われない花を選び持って行くと、水戸部は見たこともない花に興奮して水面から尻尾を出し水をバシャバシャと飛び散らせながら喜んだ。

「嬉しいのか?」
コクコク!
「その赤い花はトゲがあるから気を付けろよ」
コクコク

花を大事そうに抱きかかえた水戸部はうっとりと花を見つめたり匂いを嗅いだりしていたがハッとして宮地のボートに花を置くと海に潜り、またすぐにボートの近くに出てきてニコニコと綺麗な桜貝を宮地の手に起き指を閉じさせた。

 

「これ、お礼ってことか?」
コクコク!
「マジか!ありがとな水戸部!」
かぁっ…!

宮地がにこりと笑うと水戸部はすぐに顔が真っ赤にして水面に口をつけぷくぷくと泡をふいている、どうやら照れているらしい。

「そうだ、実は今水戸部を元にして本を書いてるんだが…ちょっとわからない事があって水戸部に協力して欲しい、出来るか?」
コクコク!
「そうか!じゃあ早速だが仰向けになってくれ」

口頭でわからない事を聞くと思っていたのにいきなり仰向けになるように指示され、水戸部は少し戸惑った。
が爛々と輝く宮地の目に負け水戸部はゆっくりと仰向けになった。
宮地の視線が刺さるように感じる。

「なぁ触ってみてもいいか?」
ッ!
「ダメならダメでいいんだが…」
…こくん
「本当にいいのか…?」
コクコク

じゃあ…と宮地は迷うことなく水戸部の肉厚な腹ビレを鷲掴みにした、突然の事に水戸部はビクンッと体が跳ねそうになったが必死に抑えた。

「人魚ってもっとこう…イルカに近い感じだと思ってたけど、水戸部はサメに近いんだな…」
ッ…
「コレは腎ビレ、だよな…ザラザラしてるな」
ビクンッ!
「悪い痛かったか?」
フルフルッ!
「そうか、」

腹ビレと腎ビレを触りながらその間のつるりとしたところに指をつつつ、と下から上に滑らせると水戸部は口元を抑えた。
相当恥ずかしいが必死に耐えているようだ。

「なぁ、この割れ目も触るけどいいか?」
…ッ、こくん

少し不安そうにする水戸部に宮地はなるべく早くしてやろうと思い手早く優しく割れ目を開いた。

「こんな風に収納するのか…知らなかった…」
かぁあぁっ…

顔を隠していてもわかるぐらい真っ赤になる水戸部を見て宮地もなんだか恥ずかしくなり、すぐに割れ目から手を離し水戸部の耳であろうヒレのようなものを触ったり腰のエラを一通り触って終了した。
けれど水戸部が何か言いたそうにチラチラとこちらを見たり見なかったりしている。

「どうした?水戸部」
くいっくいっ
「?顔を近づければいいのか?」
ちゅっ
「なっ⁈」

宮地は突然キスされた事に驚いて水戸部を見ると先ほどより真っ赤になっている

「っ、お前は…そーゆうことは好きなやつとしろ」
ッ…

宮地が頭をわしゃわしゃと撫でながらそう言うと水戸部は少しさみしそうに笑った、そんな顔を見て胸がチリリと痛んだ。
悪いことをしてしまったのかもしれないそんな気持ちでいっぱいになると水戸部に撫でていた手を止め額に軽くキスをした。

「あー、えっと…これは…」
…!
「あぁうんカモメが鳴いたよな!もう朝も近いし今日は帰るわ!桜貝ありがとうな!」

じゃあまたな!と宮地は花を渡しボートを岸に向けてものすごい勢いで漕ぎ出した。
水戸部はしばらく顔を真っ赤にして呆然としていたが自分が宮地に何をされたのかを思い出すと、とても嬉しそうに笑い花を抱えて海に潜った。

 


その頃宮地はボートを何時もの岩陰に起きこみ上げてくる恥ずかしさを紛らわす為に全力疾走をしながら家に帰り、布団に頭から突っ込み我に返った

「なんで俺は男の人魚にキスしてんだよ⁉ありえねぇ‼だいたい俺はホモじゃねぇ!」

布団の中でバタバタ暴れながらひとしきり叫んだ後がばっと起き上がった。

「そうだ、あれは人魚の世界の友好のスキンシップを無意識のうちにやってしまったんだ!きっとそうだ!」

 

メチャクチャな定説を掲げながらそう叫ぶと宮地はパソコンを立ち上げ人魚について調べたが思ったほど成果がなくすぐにうなだれた。

「やっぱここの図書館とか街の爺さんに聞きに行くべきなのか…」

宮地ははぁーっと長いため息をつき一睡することなくすぐに図書館に向かった。

 

 


その頃水戸部は海深くにある潮の流れが穏やかな小さな洞窟に宮地からもらった花を浮かんで流れないように置くと、宮地に触れられた箇所と額を撫で笑みがこぼれた。

「宮地さん、頭撫でたりしたのってきっと無自覚なんだろうな…」

そうつぶやき上を見上げると洞窟の穴から日の光が差し込んで青い光がゆらゆらと暗い洞窟の中を明るく照らしている。
あの光の下で宮地さんが暮らしているのかと思うとなんだかさみしい気持ちになってしまう。

「宮地さんともっと一緒に居たい…なんて、やっぱり迷惑だよね…」
「いや、いいんじゃないのか?」

突然の声に驚き振り返ると泣きぼくろに黒いタコの体をした男が洞窟の入り口にいた、なんだかタコ足の先端が全て男性器のように見えるが気のせいだと信じたい。

「俺は氷室、北の海に住む魔法使いさ!今なら願いを叶えてあげちゃうよ?」
「対価は何が欲しいんだ…?」
「やだなぁ対価だなんて大袈裟だなぁ、でもまぁ見合ったものはもらうからね」
「…、」
「俺はしばらく近くの海藻の森にいるから、何かお願いごとが出来たらそこに来てくれよ!じゃ!」

 

ふよふよと泳ぎながら出て行く氷室の背中を見ながら考えた。

 

「宮地さんのそばにはいたいけど、それが宮地さんの負担になるのはやだなぁ…」

 

けれどもし、宮地さんが一緒に居たいって言ってくれたら?
言ってくれて俺と同じように好きだって言ってくれたら?
独りよがりな思いはどんどん加速して行き考えるたびに水戸部はわあわあと顔を真っ赤にして一人で騒いだ。


「やっぱそんな都合のいいもんはねーよな…」

はぁ、とため息を尽きながら本棚から出した本を片付け始めた。
11月になると街にも冷たい風が吹くようになり図書館の隙間風が足元を冷やす、けれどそんな風に構うことなく宮地はあれからずっと水戸部にキスされたのは人魚特有の挨拶かどうかを調べるために街の図書館に来ては人魚に関する図鑑やオカルト本やファンタジー本、絵本に児童文学に至るまで人魚と名の付くものは全てに目を通したが全て似たり寄ったりだった。

「ったく、骨折り損だ…ん?」

本を棚に直していると、分厚い本と本の間にノート一冊が挟まっているのが目に入った。

「どうせ誰かの忘れもんだろ…」

この図書館自体廃校になった小中学校の図書室を図書館として使っているのだからこのノートも誰かの忘れ物だろうと思い一度は通り過ぎたがどうにも引っかかる。

「見るだけなら、まぁいいよな…」

背表紙に爪をかけノートを本棚から出すと本と一緒に写真やらメモやらがバラバラとノートから出て、足元に散らばった。

「うわっ!ったく、ちゃんと貼り付けるとかしとけよ…っ!コレ…!」

宮地は写真に目を奪われた、写真の中には一人のメガネ青年と美しい黒髪の水戸部ではない男の人魚が楽しそうに笑っているものだった。

「んだよこれっ…!嘘だろ⁈」

ノートから落ちた写真とメモは全て人魚に関するものや人魚の写真で、ノートの中には人魚に関する詳細なデータがかなりの達筆だが細かい字で山ほど書いてあった。
宮地はそのノートの表紙を見ると人魚交流記録と書いてあり全てを確信した、急いで地面に落ちた写真とメモをかき集め誰もいない図書館から飛び出した、ノートを小脇にはさみながらノートの表紙に書いてある名前の人を探しに街へとむかった。


「今回の新作もすでにドラマ化も決まり20ヶ国語に翻訳された本も出版するや否やミリオンセラー、批評家ですら賛美しています」
「そーかよ」
「スランプ脱出おめでとうございます、宮地さん」
「どーも」

脇目も振らずパソコンでカタカタと原稿を書いている宮地に緑間はため息をついて部屋を見渡した、かなりのゴミの溜まりようだ。

「…作品の宣伝のために自宅と作家の写真にコラムを添えることになってるんで次の火曜日までに掃除しておいてください」
「断れ」
「はっ…?」
「次の火曜日は月に一度の大切な日で予定があるから断れ、じゃねーと轢き殺す」

昔なら写真やコラムなどは大抵二つ返事だったのに突然の拒否にあっけにとられた。

 

「だいたい、今はデータ入稿ってのがあるんだからいちいち来んなよ」
「…すみません、でも俺は貴方が心配で」
「うるせぇ轢くぞ」
「はい…」

シュン、と落ち込む緑間に宮地はわざと部屋に響くようにEnterキーを押してUSBメモリーを俯いている緑間に渡した。

 

「締め切りは明後日の昼なんだろ?出かけんぞ」
「え…?」
「海沿いの飲み屋にいい店があんだけど、どうするかって聞いてんだよ」
「っ!もちろん行くのだよ!」

ぱあっと笑ってついてくる担当に宮地は飲む前から敬語忘れるとか絞め殺すぞ!と軽く頭をはたいた、緑間は笑ってすみませんといいながら二人は海沿いの道を歩いた。
12月の冷たい風と流れの速い潮の中、流されそうになりながらも岩陰に隠れて水戸部が二人を見ているとも知らずに。
水戸部はすぐに海に潜り自体の収集をしようと頭を必死に動かし考える。

 

「宮地さんと一緒にいた人は誰⁉︎なんで楽しそうに話してたの⁈なんで⁈なんで⁈」

 

海の中をぐるぐる回りなんでなんでと誰に投げかけるわけでもなく疑問を投げかけていたが、目が回りクラクラしている間に少し落ち着きを取り戻した。

 

「もしかして、恋人だったりするのかなぁ…」

 

確証も根拠もない不安が胸の中にぷつぷつと湧き上がる、疑いたくないのに疑ってしまう。

 

「とにかく、事実を突き止めるまでは…宮地さんのことを信じよう…信じなきゃ…」

 

はらはらと水戸部の目から溢れた涙はすぐに真珠へと形を変えて海の底に沈んで行った、目をこすっても涙は一行に引かない、それどころか先ほどより多く溢れ出てくる。

 

「俺、なんでこんなに…泣いて…!」

 

宮地は自分のものだとばかり思っていた水戸部にとって、知らない人と楽しそうに歩く姿を見るのは相当辛いようで涙が溢れ出て全く収まらない。
水戸部は今一方的な片想いをしている、月に一度の満月の夜に会って話をしているだけなのに身も心も真っ黒になりそうなぐらい宮地を好きなってしまった。

 

「宮地さん、宮地さん…みやじ、さん…っ!」

 

早く会いたい、会ったら暖かく優しい大きな手で冷たい体を抱きしめて欲しい。

そんなことを思いながら水戸部は深海に沈んで行った。

 


 


「それで、一体どんな心情の変化で人魚物を書くつもりになったんですか?」

「お前には関係ねーだろ、ほら飲めよ」

 

熱燗を渡され緑間は渋々と飲みながら目だけ動かし宮地を見た、いつもの刺々しい雰囲気が少し和らいでいるがそれは決して酒に強い宮地が酒に飲まれているからではない。
もっと根本的な何かが宮地を中から変えて行っているのだとしたら…

 

「好きな人でも出来たんですか?」
「っ⁈ゲホッゲホゲホ‼」
「…図星なんですね」

 

酒を吹き出しむせかえる宮地に表情一つ変えず緑間は続けて質問しようとすると、宮地の手が顔の近くにビシッと突き出された。

 

「まず、俺の話を聞けっ!」
「…、わかりました」
「まだ好きとかそんなんわかんねーんだけどさ、毎日会うわけでもねぇし、つか月一回しか会えないし…」

「…」
「でも、会わない間に何したら喜ぶとか、どんな事したら驚くとか…そんなこと考えてたらいっぱい話が湧き上がってきて…もちろん、そいつにはちゃんとお前を題材にしていいかって聞いたからな!」

それからもつらつらと話は続いたが緑間はずっと冷静な顔のまま頭の中は宮地さんのアホほどピュアな恋愛がマスコミにバレ、パパラッチに24時間監視され過去の大盤振る舞いな生活をほじくり返され報道されては今の作品の評判が落ちかねないのだよ、それどころか今後の作家生命に関わるのだよ…!と、そんなことを取り留めもなくぐるぐると考えた。

 

「はっきり言います、別れてください。その人と別れた方が宮地さんのためです」
「まだ付き合ってねーよ…」
「なっ!?相手の体をまさぐってても笑って許す関係なんてどんだけただれた関係なのだよ!不潔過ぎるのだよ!!」
「るっせぇ!あいつは不潔じゃねぇ!清らかだ!」

 

ビシッと緑間の口元に人差し指を突き出しながら今にも喧嘩をしそうな雰囲気で話す宮地に負けず劣らず喧嘩口調で話したが、緑間はすぐに冷静さを取り戻し一つため息をついてずり落ちたメガネを上げた。

 

「とにかく、人の恋愛にとやかく言う筋合いはありませんがスキャンダルになるようなことはやめてくださいね」
「お前も早く彼女ぐらい作れよ」
「うっるっせぇのだよ…」

 

むくれた顔で酒を飲む緑間を横目で見ながら宮地は水戸部の事を思い出していた、言葉での会話は全く出来ないが言葉を交わさず会話は出来ている、はず。

 

「今、その人の事考えてますよね」
「んなっ⁈」
「顔に出てるのだよ…」

はぁ…とため息を尽きながら宮地は図書館から持ち出したノートに書いてあったことを思い出しながらまた酒を飲んだ。

 

 

火曜日、何時もの場所にボートを出して水戸部に会ったが何処か元気がない。

「体調でも悪いのか…?」
ふるふる…
「じゃあなんでそんなに暗い顔なんだよ」

水戸部の顔を覗き込むと水戸部は今にも泣き出しそうな顔をしながら唇を動かし必死に何かを伝えようとしている。


こないだ一緒にいた人はだれ?

なんですっごく楽しそうだったの?

俺といるより楽しいの?


水戸部は必死に宮地に問いかけたが人魚の声は人間の耳には届かない、それでも水戸部は宮地に話しかけようと必死になった。

「おい、落ち着けよ!」
っ!っ〜!
「あーもう!ちったぁこっちの話を聞け!」

両頬を暖かく大きな手でがっちり固定され宮地と嫌でも目が会うぐらいの距離まで顔を近づけられ、水戸部は涙は引っ込んだ変わりに顔がボッ!と真っ赤になった。

 

「何があったか知らないけどな、でもな、一体なに言われてるか全くわかんねーのに散々あれこれ言われるのは気にくわねぇんだよ!」

「わかったか!」

ビシッと言う宮地の姿に水戸部はキュウッと胸が締め付けられるような感覚と頬に血が上る感覚が同時に起こり、水戸部は目の前の深い月色の瞳から目が離せなくなって行く。

 

「水戸部…?」
、…、、…。
「み、やじ、さん?」
…、
「おれは、」
…、…、、。…
「あなたが、すきです…。ってえぇ⁉」
カァアッ…
「水戸部は、俺の事が⁈えっ?えぇっ⁈」

混乱している宮地の手を振りほどき水戸部はボートから少し離れ、唇を小さく動かしたかと思うとすぐに海の中に入ってしまった。

「なんで…」

海の上に取り残された宮地は水戸部が海に潜ったあたりを呆然と見ている。

「なんで最後に謝るんだよ、水戸部…」

その日水戸部が現れることはもう無かった。

 

宮地は自宅の傾いたアパートに帰ると図書館から持ち出したノートをパラパラとめくるとあるページで手が止まる。

このノートによると冷たい海に住む人魚は暖かい温度を好み、暖かい海に住む人魚は冷たい温度を好む習性があり、体温が高い人間が冷たい海に住む人魚に触れるなどするとその人魚はその人間に好意を持ってしまうことがよくある。らしい。
人魚はあまりスキンシップを取らない生き物なので過剰にスキンシップを取ると、人魚にスキンシップを取った人間に好意を寄せてしまうことがよくある。らしい。

この両方をやったことのある宮地は大きくため息をついた。

「多分水戸部が俺の事を好きになったのって、この本能の所為だよな…」

本能の所為だと言ってしまえばそれまでだが、水戸部は理性で動き回る人間ではない、だからこそ人魚独自のその本能に従順で本能のままに宮地に思いをよせ我慢していた、けれど何かの拍子に我慢できずに本能のままに思いを言ってしまったのだろうと、宮地は推測した。

「水戸部は本能で俺が好きになったんだな、」

けれど本能で好きになったことは自分の気持ちを偽って好きになったわけではない、むしろ自分の感情に素直であったからこそ水戸部は本能のままに俺を好きになったんだ。

けれど、俺は…俺は水戸部の事をどう思っているんだろうか…
ため息をつき宮地は日に焼けた黄色い畳にごろりと寝転びいろいろ考えながら眠りについた。

自分は水戸部とどのような関係になりたいのだろうか…


       *


海藻の森で氷室はいろいろな海藻を採取して薬を作っては実験して作っては実験してを繰り返している、その最中に水戸部が森の中に飛び込んできた。

「やあ、リン!久しぶりだ、ね…?」
「氷室…君…、どうしよう、俺、おれ…」
「泣き止んだら何か暖かいものでも飲もうか」

ボロボロと泣く水戸部を見て氷室が少し笑うと、水戸部は無言でうなづいた。

「俺、ずっと好きだった人に好きって言ったんだ…」
「うん」
「でも、段取りとか、雰囲気とか全部無視して…勢いに任せて言っちゃったんだ…」
「うん、」
「そしたらすごく驚かれて…きっといきなりそんなこと言ったから気味悪るがられたんだ…!」
「うん、」
「それで、あぁ言っちゃった、ってなって我に返って…」
「うん、それで?」
「それから拒絶されたら、って思うと怖くて…あれからまだ一度も会ってない…」

氷室は少し考えた後に優しくどれぐらい会ってないの?と問いかけた。

「もう、3ヶ月ほどです…」
「その3ヶ月の間にその人はリンに会おうとしてこなかったの?」
「会おうとしてきました…けれど…」
「拒絶が怖かった、とか?」

イタズラっぽく聞くと水戸部は黙ってうなづき氷室はまたため息をついた。

「多分その人間は少なくともリンの事を傷つけるために月に一度の満月の夜にわざわざ海に来ないと思うよ?」
「だっ、れも人間だなんて!言ってませんよ⁈⁈」

不思議そうな顔をしながら図星を付かれアタフタしている水戸部に氷室はやれやれ、と肩を竦めて話し始めた。

 

「始めて会ったときリンが持っていた花は人間が人間の死を悲しんで渡す花の種類とはかけ離れているし、人魚が海の中で自然に手に入れることができない種類だ。」
「…!」
「それに、ここの海は潮が速くどういうわけだか月に一度の満月の夜にしか潮が緩やかにならない。その潮が緩やかだった前の日に宮地さんともっと一緒に居たいって言った言葉で何と無くね」

当たってたかな?とぬらぬらと淫靡な足を動かし無邪気に笑う氷室に水戸部はこいつは魔法使いより探偵に向いてるんじゃないのか、と思いながら正解だよ…と一息ついた。

 

「でも、氷室君…俺どうしたらいいかわかんないよ…」
「リン、リン、リン、俺が誰だか忘れてないか?」
「…足が卑猥なタコ男?」
「結構いい性格してるな、リンは…」
「嘘だよ、魔法使いだから魔法で宮地さんを好きにさせればいいのにとか言うんでしょ?でも俺はちゃんと宮地さんと向き合いたいんだ。」

もう水戸部の気持ちは告白済みだが宮地はどうだろう、自分と同じ気持ちだろうか。前に一緒にいたメガネの男は誰だったのだろうか。
そんなことを水戸部はまたぐるぐると考え始めると目の前にずいっ、と暖かそうなスープの入ったカップを出された。

 

「とりあえずスープでも飲んでゆっくり考えなよ、ねっ?」



「映画化したあの作品ですが、すでにアメリカ、欧州、中東のどの映画館でも見れるぐらい全世界大ヒットを飛ばし、原作の本もいくら重版をかけても足りないそうです。」
「へー…」
「それで日本と香港ではこの原作を元にドラマ化が決まってまして…」
「ふーん…」
「あの、宮地さん聞いてますか?」
「え、あぁうん、小籠包が好きだ」
「…全然集中してねーのだよ」

宮地はあれから何度満月の夜になっても現れなくなった水戸部が心配で心配で仕方なくなり仕事がろくに手につかなくなってきている。
大声出して驚いたから逃げたのか?いやいや、それなら全身まさぐりまくった時に逃げられているはずだ。
告白したけどやっぱり無理って断りたいが面倒になって会いにこなくなったのか?
それなら告白する前に唇にキスなんてしないはずだ。
じゃあなんで…?
宮地がうんうんと唸り考えていると緑間は報告書と映画とドラマの台本を机に起き、ついにしびれを切らしたように言った。

「宮地さん、この間好きかもしれない人がいるって言ってましたよね?」
「まぁ、言ったな…」
「それで今その人のこと考えてるんでしょう?」
「あぁ、」
「そんなに周りが見えなくなるぐらい唸って考えたりする時点で、宮地さんはもうその人のことがかなり好きだと思うのだよ」
「なっ?!」
「好きじゃなきゃそこまで悩んだりしねーのだよ、ドラマと映画の台本机に起きましたから、次の締め切りは4月20日ですんで、失礼しました。」

バタンとアパートのドアを閉じカツンカツンとサビの激しい鉄製の階段を下りていくと緑間の足音がアパート中に響き、すぐに足音は駅の方に向かう音に変わり消えた。

「俺は水戸部を好き…?ハッ、ありえねー…」

けれど、水戸部の笑顔や悲痛な顔が瞼にしっかりと焼き付いて剥がれない、顔を近づけたときに声無き声で告白してきた時の表情は思い出すだけで苦しくなる。

「だいたい俺はホモじゃねーし…」

始めて花を貰った時の水戸部の笑顔、嬉しそうに尾ビレをバシャバシャしている姿が目に浮かんではふっ…と消えた。

 

「それに…人魚と、人間なんて…」


まるで人魚姫みたいだ。


と言いかけたあと、人魚姫の最後を思い出し息が止まった。

「させっかよ…そんなこと…!」

立ち上がるときにコップを倒してしまったが今はそんなことどうでもいい、宮地は頭の中で水戸部が泡になって消えてしまうイメージをかき消しながら海に向かった。

月はまだ半月のままだった。



「う、んぅ?」
「おはようリン!What's up doc?」
「お、はよう…なんで俺縛られてるの?」

水戸部の体にはギチギチにベルトが巻きつけられ鱗が何枚が剥がされていた、そんな水戸部に背を向け鼻歌を歌いながら氷室は何かを作っている。

「氷室君、なんで俺のこと縛ってるの?そもそも何を作ってるのさ…」
「これかい?これは魔法のドリンクさ!」

ジャジャーン!と自分で言いながら小瓶に入った緑から紫へと独自に色彩を変化させる水を見せられたが…とても飲み物には見えない。

「…どんな効果があるの?」
「えら呼吸の生物を肺呼吸にする効果+大地を自由に歩き回れる足を生やす効果さ」
「⁈ それって!」
「そ、リンにいずれ必要かなぁって思ってね、」

人間になったら宮地さんと一緒にいられる!宮地さんのそばにいられる!
水戸部はそんなことを思いながら氷室にベルトを外され小瓶を受け取ったが、最初に氷室が言っていた事を思い出した。

 

「代償は…は、なに?」
「大袈裟だなぁ、でももともと体には無い器官、機能を取り付け新しい体には不必要な器官、機能を取り除くにはそれなりのものがあるからね」
「つまり無茶苦茶痛いってこと?」
「それはどうかな…」
「?」
「まだどんな副作用があるか分からないんだ、死ぬかもしれないし死なないかもしれない。」
「なっ⁈」

願いと同じ分だけ代償は大きい、水戸部はその意味を噛み締めながらドリンクを見つめた。

「それにそのドリンクはまだまだ未完成だけどね!」

未完成ならちゃんと完成させてから渡さなきゃダメじゃないかと言って返そうとしたその時、海水の中に血の匂いが混ざった海水が水戸部の鼻腔をついた。

「なんで…今日は満月じゃないのに…!」

水戸部は一目散に血の匂いが濃くなる方に泳ぎだした
その海水に混ざった血は宮地の血の匂いがしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


人魚交流記録

第15項目
人魚の出産と育児について

ほとんどが体内出産で出産し母親は母乳を与えながら魚の取り方を教える、人間の母乳→離乳食→普通食の段階を踏まず、離乳食の段階を一つ飛ばして成長する。
ほとんどの子供が生まれた時から数日でギラギラとした大人の歯を生やすので、すぐに自分より大きな魚を捕まえ食べていたりするらしい。

第3項目
雌雄の違いと見た目について

人魚の雌は大抵イルカ体系だが、雄はサメ体系かシャチ体系のどちらかしかいない。
しかし、ごくまれに鯨目以外の人魚もいるらしいが生命力はとても短く短命、だが恐ろしく美人で女の場合が多い。
鯨目だがまばらに鱗のあるものや鱗の無い者がいるがこれについては現段階ではまだ何もわかっていないが、両者とも腰のあたりにいくつかエラがあり水の中でエラ呼吸ができる。

人魚のほとんどが深海か人間が潜ってこれないぐらいの深い海の底に暮らしているため髪が黒い者が多く、暗がりにすぐに対応できるように黒目のものが多い。

第43項目
パートナーの探し方について

女性の人魚の場合は各地にある人魚伝説と大体同じで、歌や姿で男を誘惑し海に引きずり込みパートナーにするのが一般的らしい。
しかし男性の人魚の場合は女性と異なり声帯は無く、代わりに超音波を使って仲間同士のコミュニケーションを図っている。
そして男性の人魚は人間に対してとても好意的で人間に惚れやすく、肌などに接触すると惚れてしまう可能性が高く、惚れたらその相手以外見えなくなるところがある。
しかも発情期がない代わりに惚れた相手以外に発情できないうえ、相手にその気がなくてもその気にさせてしまう特殊な目を持っており、この目を見ると理性なんてなくなる。

第12項目
体温について

ほとんどが低温に耐性があるが寒い海に住む人魚は暖かいものを好み、暖かい海に住む人魚は冷たいものを好む。
今現在はまだこれだけしかわかっていない

管理人のメモ

この続きは裏ページに置いてあります。

プラトニックノイズ

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