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双方の胸の内

「メデルと飲んだって、ホントか?!」

そう問い詰めて来た劉を見上げながら、自分とは違う体温を両頬に感じながら、ナイダンは驚いて閉じていた口をゆっくりと開く。

「本当だよ」
「ホントだったカ!」

不機嫌そうに驚く劉の手を包み込んで頬から外すと、ベンチから立ち上がり途中になっていた着替えを続けた。

「馬乳酒を飲んでみたいって言っていたから、僕の家で飲んで、それから少し話して…」
「話し、話して何ヨ」

飲んだことが気になっていたのではないのか、と疑問に思ったが、ナイダンは考えるよりも先に着替えを優先した。
何か気に触るようなことを言ったのだろうか、それともただ単に気が立っているのか。
肌着の上から服を着る間も、劉はずっと怒ったような声でぶつぶつと呟いていたが、台湾語と日本語の間のような言葉で呟いているため、何を言っているのか聞き取れない。

…多分これは、やきもち。かな?

最近ニコラも飛も忙しく、遊ぶ機会も飲む機会も少なくなっていた。
そんな時にメデルと二人で飲んだのだから、やきもちを妬いているのかもしれない。
そんなことを思いながら、横目で苛立つ劉を見ては上着のボタンを止めた。

「話の内容が知りたいの?」
「別に、ナイよ。知りたくは…」
「そっか」
「…、」

苛立つ顔のまま、やっぱり聞いておけばよかった、と言いたげな表情に変わるのを見ながらカバンの中に荷物をつめた。

…気になるなら素直に聞けばいいのに。

変なところでプライドが高いからなぁと、苦笑しながらロッカーの戸を閉めた。
やきもちを妬いているの?と聞いたら、きっと真っ赤になって否定する。

「馬乳酒が飲みたかった?」
「遊びに行く時…行った時!飲んでるネ。毎回」
「それもそうだったね」

聞く事も話す事もできなくなったのか、劉はもごもごと口の中で言葉を転がしていた。

…事実を言って、納得してくれるかどうかはわからないけど。

このままの状態を維持し続けるよりもいいだろう、ナイダンは小さく一呼吸しながらいつも以上に丁寧に靴ひもを結んだ。

「次の…今回の試合で、有利になるような情報はないかって聞かれていただけだよ」
「そうか…それで、話し、したのか…?何か、有利なる事を」

言いにくそうに話す声を聴きながら、ベンチの上に置いたカバンを持つと、劉の方に視線を向ける。
…僕がこんな感情を抱くようになるなんて、思ってもみなかった。

「まさか」

こちらを見つめていた劉と視線を合わせると、不安そうに視線が揺らいだ。

「『友達が不利になるようなことは話せない』って言ってその話はおしまい。そのあとは『劉は本当に強かった』って話をしたかな」
「、」

こわばっていた顔と肩から、力が抜けていく。
安心したのか、眉間の皺が消えて、不安そうな表情が和らいでいく。

「どんな話をしていたと思っていたの?」
「そ、そう言う事じゃないような、なんか、もっといろいろな話ネ」
「心配性だね」
「ナイダンは警戒心が少ないヨ!やぱり私が色々教えないとダメね!」

まったく仕方ないナイダンよ!と怒りながらも、どこか嬉しそうな横顔に苦笑してしまう。

…友人を売るようなことはしたくないって、思う日が来るなんてなぁ。

モンゴルにいた頃の自分からは想像もできなければ、友と呼べるような相手が出来ることも想像できなかった。

「一緒にご飯でも食べに行かない?僕、今日はもう何もないし…」
「賛成ヨ!私、いい店知ってるヨ!」
「うん、じゃあそこに行こうか」

旨い飯食わすヨ!と元気になった小さな背中を見ながら、二人は更衣室を後にした。
このままここで帰ることもできたが、何となく、もう少し側にいたかった。

…強欲になったよなぁ。

初めて出来た友人にどこまでわがままを言っていいものなのか、未だに測り兼ねるところはある。
だが、出来るだけ彼の傍にいたいと思うようになり、彼にとって不利になるような事を他の人に言いたくはなかった。

…蟲として生きている以上、任務を優先。…なのはわかっているけど。

廊下の先を進む小さな背中を眺めながら、ゆっくりと追いかける。

「ナイダン!早く来るヨ!」

…もし、もしも、願いが叶うなら。ずっと友達でいたい。

蟲である以上、きっとこの願いは叶わないのだろうと、薄々気が付いていたが、

「うん、すぐに行く」

今はまだ気が付かないフリをしていたい。

 

 

*************

 

 

『試合終了後―!!!!』

沸き上がる歓声を背中で聞きながら、劉は口元の血痕をぬぐった。

「首の、皮…一枚だったヨ…!!」
「素直に勝ちを喜べって…」

首を鳴らしながら起き上がったメデルに視線を向ける。

「あー、やっぱ無理にでも聞いておくべきだったな…」
「なんのことネ?」

場外に向かいながら、二人は話し続けた。
司会の流れるような演説を背中で聞きながら、劉は胸元が避けた服を脱ぎ、軽く折り畳む。

「いや、お前の弱点が知れればと思って、ナイダンと飲んだんだが…」
「は、今なん。飲んだ?二人で?!」
「お、おう」

あまりの食いつきに、思わず引いてしまう。
軽く畳んだはずの服は一瞬で崩れ、袖が床についてしまっている。

「どこで!?居酒屋カ!?」
「いや、ナイダンの家でだが…あーでも、アレだ、オレが馬乳酒を飲んでみたいって言ったからアイツの家に行ったんで、その、オレが言い出さなきゃ居酒屋に…」
「馬乳酒、飲んだカ…」

余計な事を言ってしまった。
直感的にそう思ったが、一度口から出した言葉を取り下げることは出来ず、メデルは苦笑いをしながら逃げるように歩き出した。

「馬乳酒飲んだのカ!?ナイダン家で!!」

試合の時よりも尖った気迫と殺気を向けられ、思わず後ろに下がってしまう。
けれども、下がるよりも先に劉が台湾語で何か言いながら控室に走り出してしまった。

*******

更衣室に入ると、ベンチに見慣れた背中が見えると、後ろから駆け寄って両手で頬をつかみ目線を無理やり合わせた。

「メデルと飲んだって、ホントか?!」

ナイダンをそう問い詰めると、少しひんやりとした頬が温かくなるのと同時に、驚いた顔をしている。
閉じていた口が半開きになり、口の中から除いた舌先がゆっくりと動く。

「本当だよ」
「ホントだったカ!」

温かな両手が劉の手を包み込んで、優しく頬から外す。
着替えの途中だったのか、ベンチから立ち上がり着替えを続け始めた。

…いや、それよりも。

「馬乳酒を飲んでみたいって言っていたから、僕の家で飲んで、それから少し話して…」
「話し、話して何ヨ」

考えるまでもなく、2人の会話は試合の話や出光の話など、そういう他愛のない話で、劉が気にするような事は何もないだろう。
けれど、自分の知らない所でそんな話をした事がどうにも苛立たせる。

…誰が誰とダチになっても、俺には関係ない話しだって事はわかってんだけど…なんかイラつくんだよな…。

気に触るようなことを言われた訳でもなければ、単に気が立っているわけでもない。
けれども今後、自分よりもメデルの方を優先されたらと思うと、どうにもこうにも腹が立って仕方がない。

…つーか、なんで俺よりも先にメデルとナイダンがサシで…いや、誰が誰とサシでも何も問題は無いが、ああクソ…なんでこんなこと考えてんだよ…!!

自分自身の考えがまとまらないまま、ナイダンに感情のまま当たり散らしている自覚はある。

「話の内容が知りたいの?」
「別に、ナイよ。知りたくは…」
「そっか」
「…、」

本当は聞きたいが、それを言ってしまっては負けてしまったような気にもなる。
けれどこのままでは聞き出せない。
苛立ちながらも、やっぱり聞いておけばよかった、と言いたげな表情が出てしまいそうになるのを抑え、ロッカーの戸が閉まる音を背中で聞く。

「馬乳酒が飲みたかった?」
「遊びに行く時…行った時!飲んでるネ。毎回」

けれども、それはサシではなく飛やニコラも一緒にいた時だった。
ナイダンが簡単に返事を返すと、いよいよ話すことがなくなってしまい、焦りが出始める。二人の事について聞き出す言葉を思いついても、それを適切な日本語に直すことが出来ずに口の中で言葉を転がしていた。

「次の…」

ナイダンの優しい声色に、考え事が止まった。

「今回の試合で、有利になるような情報はないかって聞かれていただけだよ」
「そうか…」

ナイダンの声はどこか嬉しそうだった。

「それで、話し、したのか…?何か、有利なる事を」
「まさか」

視線が合うと、ナイダンはとても優しい表情で微笑んでいた。
冷静さを欠き、子供のように感情をぶつけながら問いただした自分を、慈しむような視線で見つめてられ、思わず視線を外した。

「『友達が不利になるようなことは話せない』って言ってその話はおしまい。」

先ほどまでの怒りが、体から抜けていくように静かに収まっていく。
そのあと自分自身が恥ずかしくなったのと同時に、とても嬉しそうに話すナイダンの顔に思わず奥歯を噛み締めた。

「そのあとは『劉は本当に強かった』って話をしたかな」

こわばっていた顔と肩から、力が抜けていく。
それと同時に首から脳天にかけて、少しづつ熱が上がって行く。

…ともだち、カ。

こそばゆいような言葉に響きに、劉は怒ったままの表情を保とうとするも、うまく保てなかった。
会計の時に財布を丸ごと忘れたニコラがすがるように言う言葉と、飛がふざけている時に軽く言う言葉と、同じ言葉のはずなのに、なぜだかたまらなくうれしくてこそばゆい。

「どんな話をしていたと思っていたの?」
「そ、そう言う事じゃないような、なんか、もっといろいろな話ネ」
「心配性だね」

楽しそうに微笑まれたその顔に、上がった熱が頬にたまり、脈が速くなる。

「ナイダンは警戒心が少ないヨ!」

これ以上見つめてはいけない、そう思いながら視線を外す。
言葉が喉に詰まる前に、無理やり言葉を続けた。

「やぱり私が色々教えないとダメね!まったく仕方ないナイダンよ!」

背を向けていても視線が向けられることが分かってしまう。
穏やかに微笑んでるのが、背を向けていても分かってしまう。

…あー、クソ…こんなことで…。

にやけてしまう口元を隠しながら、劉は少しづつナイダンから距離を取った。
今まで友人がいなかったわけではない、むしろ多い方だった。
けれど、過去のすべてに決別するために、すべて切り捨てた。
親同士が友人だったために友人となった者、親の元で共に武術を学んでいた者、仲が良かった同年代の親戚、世界の悪意を何も知らず家族愛に満たされた環境で育った学友。
劉を取り巻く環境に、政争の影が見え始めた時、友人だと思っていたすべての人間が、自分の枷になり、友情は静かな呪いになり始めた。

「一緒にご飯でも食べに行かない?僕、今日はもう何もないし…」

それからと言うもの、知り合う人間には、どれだけ仲が良くなったとはいえ、自分なりに線引きをして距離を測って『友達』を作っては離れてを繰り返していた。

「賛成ヨ!私、いい店知ってるヨ!」

けれど今は、『友達』だと言ってもらえたことがうれしかった。

「うん、じゃあそこに行こうか」

笑顔を隠す事なく振り返り、ナイダンの表情を見る事なく先に歩き出した。
顔を見たら、きっと必要以上に笑っている事を指摘されてしまうだろう。

「旨い飯食わすヨ!」

劉は更衣室から出ると、この時間から空いている店を脳内でいくつか出しながら、ナイダンの好きそうな味を思い出す。
ゆっくりと追いかけて来る歩幅を感じながら、胸の奥が温かくなる。

「ナイダン!」

ついてきているのはわかっていたが、なぜだか無性に名前を呼びたくて仕方がなかった。

「早く来るヨ!」
「うん、すぐに行く」

振り返って見た彼の表情は、どこか嬉しそうに見え、劉は嬉しそうに微笑み返した。
胸の内に湧き上がるこの感情は、友愛とはすこし形が違うような気がしていたけれど。
答えを出すのはもっと後でいいと、後ろから来る視線を感じながら、前を向いて歩き続けた。

 

プラトニックノイズ

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